ごあいさつ

ごあいさつの情報ページです。
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
えらく長いこと更新しなかったもんだ!





これからはボチボチと・・・





スポンサーサイト
新宮城址1からの続き

藩邸のあった二の丸は、現在は保育園が建っている。

登城のための大手道は二の丸の北側に登り口があって

松の丸から鐘の丸を経て本丸へと至ったとのこと。

今の登り道途中に行く手が崖になって途絶えた分岐があるが

藩邸へと続いていたのじゃないかと思ったが確認を怠った。

かつては松の丸からは、もう一路があって

船着場や倉庫があった熊野川岸の「水の手」へ続いたとある。

最近になって、その水の手遺構が発掘調査されたとのこと。

新宮城絵図


鐘の丸の一隅で、木の根元にポツンと一基の墓石があって

「室町時代の一石五輪塔だが詳しい事は分からない」との説明文が立っている。

どのような人がどんな経緯で?謎の墓石。

謎の墓石


余談だけど

以前には、鐘の丸に「本丸御殿」と言う旅館があって

専用のリフトカーが昇り降りしていたそうな。
和歌山県新宮市にある新宮城は、浅野氏2代を経て水野氏で10代続き、

徳川家康の従兄弟筋にあたる水野家は、

紀州藩付家老で江戸に詰め新宮三万五千石を領したが、

熊野に産する木材、 木炭等を支配して大いに繁栄し、

その実力は十万石以上であったといわれる。

案内図


丹鶴(たんかく)城とも呼ばれるが、その名前の由来は

築城前に源為義の娘である丹鶴姫が開いた東仙寺があったことから、姫の名を。

また、太平洋を見渡せるため沖見城とも呼ばれた。

本丸より少し下にある「出丸」から熊野川も監視した。

出丸 本丸より眺める熊野川

 
平山城の天守台には小ぶりながら3層5階の天守閣が建ち、

洋上からも威風を遠望できたと言う。

紀州徳川藩にとって重要な支城だった。

明治時代に廃城となり、曲輪と石垣と天守台しか現存しない。

石垣は美しく、国の史跡指定となっていて、堀は埋め立てられて市街地となっている。

藩主邸のあった所にはNTTの社屋が建っている。

城跡は、かねてから逐次に整備が加えられ続けている。

今は市民の憩う公園として、春は桜の名所だ。

一部崩壊したままの石垣があるのは残念だが、天守閣再建の話もあるそうで

そうなれば石垣も修復されるだろうと期待している。

崩壊した石垣


新宮城址2へ
 お互いに年賀状で健在を確認し合うくらいだった古い友人から思いがけなく電話があって

田舎暮らしを始めようと思うので相談に乗ってくれとのこと。

事情があって生まれた田舎に戻って生活している私に、,いろいろと聞きたいのだそうな。


 会って話してみれば、かなり熱っぽい。

一概に田舎と言っても、いろいろなレベルがあるから、どの程度の環境に住みたいかと問えば

いくつかの地名を挙げて「あんな所が理想と」とのこと。

そこは限界とも言える過疎地区。

たしかに空気も綺麗だし小川を流れる水も澄んで山の緑も近く

車の騒音も少なく静かで本当に良い地域である。

遊びで訪れるのと定住するのは大違いだが、彼もそのことが気になっているのだ。


 そこで、田舎暮らしに向かない人もいるぞってことで、次のような事柄を挙げてみた。

彼の希望している地区だけに特化させた内容じゃなく

田舎に共通するだろうと思った事柄。


1、プライベートを第一に、ひっそりと生活したい人。

2、没個性に徹し切れそうにない人。

3、身に覚えのない風評のターゲットにされるのは困る人。

4、独特の人格評価とか価値観の独特さを理解できない人。

その他いろいろ。


 田舎暮らしを希望するからには、すでに良い面は聞いているだろうから

ちょっと引くかもな事柄を挙げてみた。

彼の性格が昔と変化していなければ、いくつかに触れたはず。

話をしている内に、視点がウロウロし始めた。


 田舎暮らしを望む人に、水を浴びせるのも・・・と思ったけれど

ドップリと田舎暮らしに浸かるのは、それなりの覚悟がいると

友人である彼やご家族に、それを伝えたかった。

生活拠点を完全に移してから後悔しても大変だし。

ご家族で考え合わせた上で気持ちを固めて移住となれば、仲間が増えて嬉しい。


ともあれ、茹だるような残暑の続く中

旧友と過ごせた時間は、この上なきオアシスだった。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。